2020-03-28
社会党の総理大臣と言えばグズ哲としてその無能さを晒した片山哲なんてのも過去に居たくらいですからね。
片山哲は吉田茂などの自由党にも政権参画してもらいオール与党状態で組閣しようとしていたようですが当時の社会党左派と言えば今日密談をしても明日にはモスクワに情報が必ず漏れると言われていたほどでした。
反共である自由党が組んでくれるはずもなく、結局、民主党や国民協同党との連立で組閣。ですが民主党政権と同じく与党内でろくに物事が決められず、片山哲はグズ哲と呼ばれるほどで8ヶ月で片山哲内閣は総辞職。
そんな片山哲が昭和30年に「憲法擁護国民連合」を結成。
そして訪中団を組織して訪中します。
この憲法擁護国民連合がのちの「フォーラム平和・人権・環境」です。
そしてここに加盟している団体を見てみれば・・・
自治労、日教組、日放労、社青同、中核派 etc
のちの社会党の基盤となった組織なわけです。
これが当ブログで3月18日に書いた自民党田中派と水面下で癒着する社会党の基盤となっていくわけです。
媚中の田中派と社会党内の媚中派という流れですので癒着していくのはある意味自然な流れだったのかもしれません。
おっといつもどおり話がそれました。
話を元に戻しましょう。
政治家の仕事ってなんでしょうか?
いろいろあるとは思いますが、一つの大きな仕事は、利害が対立しこんがらかった糸を少しでも多くの人がなんとか我慢できる良い塩梅にほぐす仕事だと思います。
要するに利害調整です。
このためには根回しってのはとても重要なお仕事なんですが、民主党ってのは根回しっていう事そのものを知らないので全くそういう事ができないんです。
なので民主党政権では補正予算もろくに組めず、「(パクるから)自民党は補正予算案を考えてそっと与党に見せなさい、自民党が見せたら民主党の補正予算案も見せてあげます」
と玄葉光一郎が何ヶ月もやっていたことがあります。
旧社会党からの伝統である「勉強しない、仕事しない」を長年続けていればどんなに優秀だった人でも使い物にならなくなるですから、そういうのが政権を取った結果の一つとして当然のオチだったと思います。
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