沖縄と「屈辱の日」の風化
2013-05-01


WEB版産経新聞から

主権回復の日、沖縄の世論から振り返る 「屈辱の日」もはや風化

産経新聞 4月30日(火)15時10分配信

 【西論】編集委員・河村直哉

 この国の西が穏やかでない。傍若無人な隣国のことではない。「主権回復の日」の28日、大規模な抗議、反対集会が開かれた沖縄のことである。改めてこの問題を、沖縄の世論の面から振り返る。

 昭和27年のこの日、サンフランシスコ講和条約の発効で敗戦日本は独立を回復した。だが沖縄は米国の施政下に残った。政府が式典を開くことがわかってからいくつかの沖縄のメディアは、28日は「屈辱の日」であるとして反対の声を上げてきた。

 「政府がそうした(沖縄の)歴史を顧みず『主権回復』をことほぐのは、県民を愚弄するような話だ」(3月13日付「琉球新報」社説)

 「政府が講和条約を祝うことは、27年に及ぶ米軍統治によって県民が受けた有形無形のさまざまな犠牲や被害を無視することを意味する」(3月9日付「沖縄タイムス」社説)

 最近の「琉球新報」を開いてみると、「屈辱の日」に向けた集会の記事や企画、特集が連日のように組まれている。在日米軍基地が抱えるさまざまな問題や政府への批判を「屈辱」という言葉に象徴させた、激しい反対キャンペーンである。

 日本が独立を回復してからも20年沖縄が米国の施政下に置かれたこと、いまなお在日米軍施設の74%が集中して負担を強いていることを、常識ある日本人は忘れてはいない。安全保障上の困難と時間は伴っても、基地問題の解決は日本人全員の課題である。独立の日に思いを巡らせることは、沖縄を愚弄することでも、その犠牲や被害を無視することでもない。むしろ沖縄の歴史も含めて国家の主権を考え、今後の日本を建設していく日だった。

 しかしこの激烈な「屈辱」キャンペーン。沖縄のいらだちを理解しようにも、度を越していまいか。国あっての地方であり個人である。

 ◆なぜ改憲を論じない

 いくつか考えたいことがある。まず、このような状況で喜ぶのはだれか。あからさまに尖閣諸島(同県石垣市)をうかがい圧力をかけてきている中国であることは、目に見えている。

 次に、在日米軍の基地問題を考えるなら長期的には、友好国との関係を良好に保ちつつ十全な自主防衛の体制を築くことを念頭に置くのが道理だ。戦力の保持を認めない現憲法の矛盾は明らかで、いま機運が高まっている通り、改憲を現実の問題として考えないといけない。ところが、沖縄のメディアは憲法改正にも反対するのである。

 「宿願である改憲を通常の法改正と同様にやりやすくする。これが(安倍晋三)首相の狙いだろう。当然、憲法9条を含む抜本改正が視野にある。(略)現行憲法のどこに支障があるのか」(14日付「琉球新報」社説)

 ほか、教育への政治介入反対、国会議員の靖国参拝批判などなど。これが沖縄世論であるなら、戦後日本で長く支配的だった思潮の濃縮版といわざるをえない。沖縄のメディアのみならず最近の日本を「右傾化」と評する論調が目立つが、それにならっていえば、戦後長らくの日本といまの沖縄世論を形成している考え方の傾向は「左傾化」であると、端的にいえる。

 ◆「左傾日本」を脱する

 歴史の皮肉というべきか、左傾化は日本が独立を回復した講和条約締結のころに潮流を作った。

 当時、国際情勢としては自由圏と共産圏の対立が始まっていた。日本の講和は共産国を含んだ全面的なものであるべきか、特定諸国との単独のものであるかが議論された。日本は自由主義陣営に入るのだが、昭和25年、雑誌「世界」は知識人グループ「平和問題談話会」の声明を載せている。いわゆる戦後の進歩的知識人が名を連ねた声明として、いまに知られる。


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